歴史
西村衛生ボーロの歴史
明治維新頃 | 御所に出入りする武士を相手に刀屋を営んでいたが、武士の帯刀が禁止されたため転身 |
明治26年 | 初代西村元吉は、西村衛生ボーロ本舗を創業。
当時全国的に疫病が流行していたこともあり、衛生的で消化の良いお菓子を、との想いから当時の流行語であった衛生という言葉を用いて『衛生ボーロ』を製造販売。
屋号の尾張屋は、刀屋の時のものを受け継ぐ。
当時は全て手作業で原材料を混ぜ合わせ生地を作り形を整え石炭燃料で高温にした鉄板の上でコロコロ転がしながら焼いていた。 |
昭和29年 | 二代目西村桂次郎は、機械導入により大量生産に成功。当時、業界は一斗缶入りであったが袋入り商品を先行した |
昭和35年頃 | ラジオでCMソングが流れ『坊やが知ってるママの味』 のキャッチフレーズで人気となる |
昭和42年 | 株式会社 西村衛生ボーロ本舗 設立
三代目西村健 代表取締役社長に就任 |
昭和43年 | 本社向かいに鉄筋3階立ての新工場新設
包装機・バンドオーブン導入によりオートメーション化 |
昭和45年頃 | 舞妓さん起用のテレビCMは大反響を呼んだ |
昭和48年 | 5連包装機導入により5連商品が大ヒットした |
昭和60年 | 百年以上にわたる伝統技術の継承にて京都府知事より京の老舗表彰を受ける |
平成6年 | 営業施設の食品衛生等に対して日本食品衛生協会より表彰を受ける |
平成24年 | 四代目西村淑子 代表取締役社長に就任 海外展開により販路拡大 |
平成29年 | オスカー認定企業(優れた事業計画により積極的に経営革新に取り組む中小企業) に選定される 京都府元気印中小企業認定制度に認定される |
平成30年 | 梅津工場新設 これを機に、小麦粉を抜きグルテンフリーへ。 テトラ包装機を導入 |
平成31年 | 経済産業省より『地域未来牽引企業』に選定される |
令和元年 | 令和元年度京都中小企業優良企業表彰を受ける |
令和4年 | 京(みやこ)・食の安全衛生管理認証取得【梅津工場】 JFS-B規格 適合認証取得【梅津工場】 代表取締役社長西村淑子が「令和4年度 京都府産業功労者」を受賞 |